麻田機長と鳩、そして遊覧飛行

2005年5月初版、2006年5月改訂版、

2007年1月三訂版、2009年1月四訂版

 

 鳩が取り結んだ心温まるエピソードを紹介します。

 

 昭和33年ごろのお話です。当時、少年たちの間では伝書鳩の飼育熱が盛んでした。昭和33年3月に岩沼町立玉浦小・中学校矢野目分校(愛称「玉浦ベッドスクール」)を卒業した第1回卒業生が卒業記念に鳩を贈ったのがきっかけで、療養所の患者と子どもたちがベッドスクールで鳩を育てるようになりました。ありあわせの木材で鳩舎を作り、また近所の郵便局員の野村さんが鳩の飼育・訓練を買って出て、その結果、まもなく鳩は子どもたちの実家と分校との間で手紙を運ぶ役を務めるようになり、鳩は分校のアイドルになりました。

 

当時の鳩の所有権証

鳩の足につけて文書を運ばせた通信管

鳩の訓練に出発

 

 その直後の4月、ベッドスクールの鳩舎に一羽の鳩が迷い込んでいるのを飼育係の佐々木君が発見しました。足輪をしていたので「青森―東京間の鳩レースで迷ったのではないか」と心配した子どもたちが、県警を通じて警視庁で調べてもらったところ、やはり飼い主が東京在住とわかりました。しかし弱った鳩を早く確実に送り届ける方法がなく、困った末に 、仙台空港が学校のすぐ向かいにあったので「飛行機に頼もう」ということになり、仙台空港に相談しました。その結果、仙台―東京を定期空路で飛んでいた全日空・機長の麻田正さんが快くこの申し出を引き受けてくださったのです。

 麻田機長さんは、輸送する鳩を空港にもってきた子どもたちが療養所に帰っていく後姿を見て、「あの子どもたちは何年くらい入院しているの?」と佐々木君に尋ねたそうです。佐々木君が「4〜5年の入院になりますよ」と答えると、それまで気さくに話をしていた麻田機長さんは突然だまってしまい、ベッドスクールに帰っていく子どもたちの後姿をじっと静かに見つめていたそうです。

 麻田機長さんの好意で無事に鳩は東京の飼い主のもとに帰り、子どもたちは後日ベッドスクールを訪問した東京の飼い主から、優秀な血統の小鳩をお礼にもらいました。そしてこの一件がきっかけで、麻田機長さんとベッドスクールの子どもたちとの交流が始まりました。

 

【写真:ベッドスクールの鳩舎(左)、麻田機長さんの肖像(中)、

鳩の空輸を頼む(右=機長さんに鳩を手渡している松葉杖の人物が迷い鳩を発見した佐々木君です)】

佐々木君がつけていた「鳩日誌」。

その1冊目にエピソードの記録があります。

麻田機長さんのお名前も記されています。

 

 昭和33年5月には、愛鳥週間にちなみ、鳩を救助した子どもたちのエピソードが、ニッポン放送のラジオ番組『歌声は消えず』第119回で、30分間のラジオ劇「鳩と少年たち」として紹介されました。

 

  子ども好きで、心優しい麻田機長さんは、ベッド上で勉強しがんばっている子どもたちと出会ってから、「何とか子どもたちのために出来ることはないか」と思うようになったそうで、その後ベッドスクールの子どもたちに、図書やおもちゃ、またいろいろなお土産を届けてくれるようになりました。北海道のスズランや、八丈島のフェニックス(ヤシ科の観葉植物)を送ってくれたこともありました。 この交流は、ベッドスクールが玉浦から西多賀に移転したあとも続きました。

 

(左)スズランを仙台空港で受け取りました。(右)フェニックスが教室に届きました。

スチュワーデスさんがスズランを届けてくれたこともありました(昭和35年ごろ)

 

  交流が深まるにつれて、麻田機長さんは「どうしても子どもたちを飛行機に乗せてやりたい」と考えるようになりました。麻田機長さんは、子どもたちとも約束をしました。しかし個人の飛行機ならともかく、全日空という大組織の中で子どもを招待飛行することは容易ではありません。採算が合わないだけでなく、万一の事故を考えると、なかなか実現するような企画ではありませんでした。しかし麻田機長さんは何度も根気強く会社にお願いして、ついに会社から許しをもらうことができ、全日空から正式の招待状が届いたのです。

 昭和38年4月29日、ベッドスクールの子供たち50名が、麻田機長さんみずから操縦する旅客機に乗って仙台・松島上空を遊覧飛行しました。このとき麻田機長さんは、東京―札幌、東京―大阪しか飛ばなくなっていましたが、会社のはからいで特別に30人乗りの旅客機ダグラスDC-3型機を操縦して仙台に飛来。午後、子どもたちを2回に分けて飛び、初めて飛行機に乗った子供たちを大喜びさせました。

 麻田機長さんは、定期便の飛行よりずっと神経をすり減らして操縦し、子どもたちを全員降ろすまで、気が気でなかったそうです。しかし、そこまでして子どもたちのために尽くしていただいた麻田機長さんの気持ちは、子どもたちに大きな思い出となって残りました。

 

【写真:麻田機長さんに花束を渡す(左)。飛行機に乗り込む子どもたち(中・右)】

銀色の機体

機内で

窓から見えた仙台市街

 

 

飛行機

(中2 女子生徒)

大きいからだをして毎日空を飛ぶ

色は白か銀色をして光をあびて飛ぶ

彼は大きいプロペラを持ち人間三十人をすっぽりその腹にしまいこむ

そして休みなく空を飛び回る

空から下を見ると目まいしないかな

私も彼のように

大きい希望を持ってぐんぐん進もう

彼を思うと

悲しいこともさびしいことも忘れる

勇気を与えてくれる彼よ飛行機よ

ありがとう!

招待飛行の一日

(小5 男子児童)

 仙台空港は広い。白いかっ走路がどこまでも長く続いている。その先に松林があった。飛行機はダグラスDC三型だ。にぶい銀色の巨体が太陽の光をあびてまばゆい。

 町子ちゃんが、花たばを麻田機長さんにさしあげた。タラップをのぼってうすぐらい座席についた。そうじゅう席の後のかべにランプがついた。ベルトをしめてくださいと書いてある。みんなはベルトをしめてだまっていた。

 エンジンの音がぐんと高くなったかと思うと飛行機はゆるゆると走り出した。やがてぐんぐんとスピードを出し空港のたてものは見えなくなった。飛行機はしぜんにふわりとうきあがって海上へ出た。海はどこまでも青く、波は白くあわだっていた。たくさんの島がぽつぽつと海にうかんでとてもきれいだ。白い雪におおわれたざおう山がゆくてに見えたころ、飛行機は大きく左にまがりはじめた。三十センチ四方の小さな窓からのぞくと、田んぼがマッチばこみたいだ。だれかが「ベッドスクールが見えるぞ」といったが、どの建物が療養所なのかはっきりしなかった。みやぎ球場が見え、やがて遠くに飛行場が見えてきた。人や自動車や家がぐんぐん大きくなってくる。飛行機はいつ着陸したのかわからない中に、かっ走路の上を長く走り続けていた。

 

 

 この遊覧飛行のあと、麻田機長さんは当時の最新鋭ジェット旅客機であったボーイング727型機の操縦を勉強するためアメリカに渡り、猛勉強をして帰国しましたが、その後体調を崩し、昭和42年に46歳で亡くなりました。

 


 2005年の春、「当時の資料は保管されていませんか?」と、本校から全日空に問い合わせたところ、このエピソードは全日空の50年誌には掲載されていないことがわかりました。しかし本校からの問合せを受けた全日空CS推進室の皆さんが「心温まるエピソードだ」と調査した結果、 奇跡的に、麻田機長さんの奥様が健在とわかり、CS推進室のスタッフが面会して当時のお話を聞くとともに資料を入手することができました。ここに掲載した写真の多くは、こうして提供された資料の一部で、奥様ならびに全日空の許諾を得て掲載するものです(転載はご遠慮ください)。

 


★このページの作成には、上記写真と共に麻田機長さんの奥様から提供していただいた文集『ベッドスクール―ある病弱教育の記録―』(太陽と緑の会編)と、本校保管資料『にしたが』第2号(昭和38年8月20日発行)、『西多賀養護学校創立20周年記念誌』(1976年10月)、『ベッドスクール(創立35周年記念誌)』(玉浦ベッドスクール同窓会発行・1991年)、ニッポン放送『歌声は消えず』第119回「鳩と少年たち」放送台本、および新聞報道1960/7/22河北新報、1963/4/28河北新報を参考にしました。 また、その他の写真および鳩飼育日誌・飼育用具は、元“患者先生”菅原進先生から借用したものです。いずれも転載はご遠慮ください。

 


★麻田機長さんとベッドスクールの子どもたちとの交流の歴史が掘り起こされたことをきっかけに、2006年4月21日に「宮城県立西多賀養護学校創立50周年記念・ANA麻田機長メモリアルフライト」が実施されました (詳しくはこちらをご覧ください )。その後このエピソードはネットや書籍でも紹介されるようになりました。

 

■コラム『大空の絆』の連載
 社団法人・日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会NACS東日本支部の自主研究会の一つである「CS研究会」のホームページ上で定期的にコラムを発表していらっしゃる島村治雄さんが、2006年8月23日・28日・9月4日の3回にわたってANA麻田機長メモリアルフライトに関するコラム『大空の絆』を連載してくださいました。これは、6月にANAを通して島村氏から御提案があり、その後準備が進められていた企画で、心を大切にするANAの社風にも関連づけながら、新しい視点で麻田機長メモリアルフライトを報じる文章になっています。

 

■書籍『絆の翼』の発行

 2007年1月にダイヤモンド社から『絆の翼』という本が発売されました(ダイヤモンド・ビジョナリー編・岡田晴彦著、税込定価1500【写真:表紙】。これは、 ANAの感動的なエピソードを8編まとめた本です。第1章で麻田機長とベッドスクールの子どもたちとの交流が、また第2章でメモリアルフライトが、それぞれ物語風に紹介されています。


★2009年4月4日(土)21:00〜23:00に放送された日本テレビ系列局(宮城県ではミヤギテレビ)の特別番組「写真は語る!6つの絆 奇跡をくれた感動物語」の中で、麻田機長さんとベッドスクールの交流がエピソードの一つとして紹介されました。